大判例

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東京高等裁判所 平成8年(う)1593号 判決 1997年1月29日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六年及び罰金一〇〇万円に処する。

原審における未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収してあるコカイン一〇袋(当庁平成八年押第四四六号の1ないし10)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官桐生哲雄名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人野々山哲郎名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、本件公訴事実中、関税法違反(輸入禁制品輸入未遂)の点につき、「被告人がスーツケースを自己の物として通関させようとしたというような関税法上の禁制品輸入の実行行為の着手に該当する事実は認められず、その他、本件証拠を子細に検討しても、右に該当するような事実は認められない。むしろ、被告人は、大蔵事務官の質問に対し、携帯品はない旨答えているのであるから、本件コカインを通関させようとする故意を喪失していたとも認められる。したがって、関税法上の禁制品輸入未遂については犯罪の証明がないといわざるを得ない」として無罪の判断を示しているが、実行に着手した事実も被告人に故意があった事実も認められるから、原判決には事実の誤認があり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、次のとおり判断する。

1  関係証拠によると、本件の事実経過は以下のとおりであり、原判決の認定もほぼこれと同旨である。

(1) 被告人は、ブラジル連邦共和国サンパウロ市のグアルリオス国際空港において、日本航空第六三便に搭乗するに当たり、本件コカインを隠匿したスーツケースを機内預託手荷物として運送委託した上、平成八年五月二八日午後一時四〇分ころ、新東京国際空港に到着した。

(2) 被告人は、入国審査の際、アルゼンチン共和国の偽造旅券で入国しようとしたことを入管職員に発見され、入管職員らとともに東京税関成田税関支署第二旅客ターミナビルAゾーン旅具検査場一番検査台に赴き、同日午後二時四五分ころ、税関検査を受けたが、その際、被告人は、携帯品を所持しておらず、大蔵事務官の質問に対し、携帯品はない旨、及び税関に申告すべきものはない旨答えた。

(3) 同日午後二時五〇分ころ、厳重な検査を行うために引継ぎを受けた別の大蔵事務官は、被告人が何らの携帯品も所持していないことに不審を抱き、右検査場内設置の日本航空案内カウンターに行き、被告人が搭乗していた飛行機の旅客用手荷物のうち、未だ引き取られていない物があるかどうかを確認した。その結果、本件スーツケース一個が引取り未了手荷物として保管されていることが判明したため、このスーツケースを一番検査台まで運搬し、被告人に確認を求めたところ、被告人はこのスーツケースが自分のものである旨認めた。

(4) 大蔵事務官は、右スーツケースを検査室に運び、求めに応じて検査室へ同行した被告人に麻薬類が在中していないかを尋ねたが、被告人は、首を左右に振るなどして否定した。被告人は、右スーツケースをX線で検査した結果認められた異常な陰影についての質問に対しても、何ら答えず、その後本件コカインが発見されて初めて、薬物が隠匿されている事実を認めるに至った。

2  ところで、関税法一〇九条所定の禁制品輸入罪にいう輸入とは、外国から本邦に到着した貨物を本邦に引き取ることをいうと定義されているところ(同法二条一項一号)、関税空港において通関線(旅具検査場)を通過する形態の輸入においては、空港内の通関線を突破した時点で同罪の既遂が成立すると解せられることに照らすと、同罪の実行の着手時期は、通関線の突破に向けられた現実的危険性のある状態が生じた時点をいうものと解すべきである。そして、禁制品である貨物が機内預託手荷物として飛行機に搭載された場合においては、税関検査を受ける意思のある犯人が、到着国の情を知らない空港作業員をして、貨物を駐機場の機内から機外に取り降ろさせ、空港内の旅具検査場内に搬入させた時点をもって実行の着手があったと解すべきであり、犯人が搬入された貨物を現実に受け取ったことや、更に進んで犯人がその貨物を持って検査台に進むなどの行為に出たことまでは必要としないというべきである。右のような場合においては、犯人が貨物を携帯して通関線を通過する場合と異なり、貨物は犯人の行為を介在することなく情を知らない空港作業員により旅具検査場内に自動的に搬入されるのであり、このようにして貨物が旅具検査場内に搬入されるに至れば、通関線の突破に向けた現実的危険性のある状態が生じたといえるからである。

そこで、本件において右の実行の着手があったか否かをみると、本件スーツケースは、被告人の運送委託により機内預託手荷物として飛行機に搭載され、新東京国際空港に到着後、情を知らない空港作業員によって税関検査のため旅具検査場内に搬入されており、その後、被告人は、税関検査に際し、本件スーツケースを見せられて自分の物であることは認めた上、麻薬が隠匿されていることを否定する態度に終始していたのであるから、麻薬が発見されなければこれをそのまま通関させようとする意思を有していたということができ、実行の着手があったということができる。原判決は、被告人が大蔵事務官に対し携帯品はない旨答えたことをもって通関させようとの故意を喪失したかのように認定しているが、これはその後の経過と照応せず、妥当ではない。

また、被告人は、出入国管理及び難民認定法に基づき、特別審理官による口頭審理を経て上陸禁止処分となる予定の者であったが、そのことは右の結論に影響を及ぼすものではない。すなわち、東京入国管理局成田空港支局における上陸禁止処分を受けた者(以下「上陸禁止者」という)に対する取扱いは、機内預託手荷物がなく、即時(概ね二時間以内)に出国便の手配がついた者については、税関における手荷物等の携帯品検査を受けさせることなく出国させることもあるが、それ以外は、税関における携帯品検査を受けさせた上、上陸禁止者が搭乗してきた航空会社の責任及び管理の下で、特別審理官が指定した東京入国管理局が管理する上陸防止施設まで連行して留め置き、出発時に右上陸防止施設から当該出国便の搭乗口まで連行して出国させることになっている。被告人の場合、搭乗できる出国便は、早くとも到着日から二日後の五月三〇日午後一〇時発の日本航空第六四便であり、その間は東京入国管理局が管理する上陸防止施設に収容されることになっており、本件における税関の携帯品検査も、被告人を上陸防止施設に収容する予定の下に実施されたものであった。上陸禁止者に対しても税関において携帯品検査の実施が必要であるのは、同局が管理する上陸防止施設が、千葉県成田市古込字古込一番地一新東京国際空港第二旅客ターミナルビル二階の東京入国管理局成田空港支局上陸防止施設、茨城県牛久市久野町一七六六番地の同支局牛久上陸防止施設等に所在しており、いずれも通関線の外に設けられていること、上陸禁止者の手荷物や携帯品は上陸禁止者が管理支配し、上陸防止施設への携行が認められていること、偽造旅券等を行使して不法に本邦に入国しようとする上陸禁止者の中には、麻薬等の禁制品を輸入しようとする者が少なくない上、上陸防止施設への連行が、民間の航空会社の管理及び責任に委ねられ、しかも手錠等の戒具使用を許されない不完全な身体的拘束状態のまま行われるため、逃走したり、隠匿物を本邦内の共犯者等に引き渡すなどの行為に及ぶおそれが高いことなどの理由からである。

3  そうすると、関税法違反の点につき無罪としている原判決には、事実の誤認があることになり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、予備的主張である訴訟手続の法令違反の主張について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

二  破棄自判

よって、刑訴法三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い、被告事件について更に以下のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自称Rなる者と共謀の上、みだりに、営利の目的で、麻薬を本邦に輸入しようと企て、麻薬であるコカインの塩酸塩(白色の粉末)三四二五・三三グラム(当庁平成八年押第四四六号の1ないし10は鑑定後の残量)を一〇個に小分けしてそれぞれを透明のビニールで包むなどした上、これらをスーツケースの上蓋内及び下蓋内の底部に隠匿し、被告人が平成八年五月二七日午前零時(現地時間)ころ、ブラジル連邦共和国サンパウロ市のグアルリオス国際空港において、日本航空第六三便に搭乗するに当たり、右スーツケースを、千葉県成田市所在の新東京国際空港までの機内預託手荷物として右グアルリオス国際空港作業員に運送委託し、事情を知らない同空港作業員らをして、同月二八日午後一時四〇分(日本時間)ころ、同便により新東京国際空港第六三番駐機場に運送させた上、そのころ同航空機から機外に搬出、取り降ろさせて右麻薬を本邦内に持ち込み、もって、麻薬であるコカインの塩酸塩を本邦に輸入するとともに、同日午後二時四五分ころ、同空港内東京税関成田税関支署第二旅客ビル旅具検査場において、携帯品検査を受けるに際し、右のとおり麻薬を携帯しているにもかかわらず、同支署税関職員に対しその事実を秘して申告しないまま同検査場を通過して輸入禁制品である麻薬を輸入しようとしたが、同支署税関職員に発見されたため、その目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示所為中、営利の目的による麻薬輸入の点は刑法六〇条、麻薬及び向精神薬取締法六五条二項、一項一号に、輸入禁制品に当たる貨物である麻薬輸入未遂の点は刑法六〇条、関税法一〇九条二項、一項、関税定率法二一条一項一号にそれぞれ該当するが、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い麻薬及び向精神薬取締法違反罪の刑で処断することとし、情状により所定刑中懲役刑及び罰金刑を選択し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役六年及び罰金一〇〇万円に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中四〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、押収してあるコカイン一〇袋(当庁平成八年押第四四六号の1ないし10)は、営利目的による麻薬輸入の罪に係る麻薬で、いずれも犯人が所持するものであるから、麻薬及び向精神薬取締法六九条の三第一項本文によりこれらを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 佐藤公美 裁判官 坂井満)

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